視点…アーテル・オーディナリ
(現:アーテル・フィリサティ)
これは今から約数年前。
「番号札××番のお客様〜!お待たせしました〜!」
「ありがとうございます〜。さて、仕事に戻ろうか…な…!?」
僕とビアンカの出会い、言わば馴れ初めの話だ。
「きゃっ…!?」
「あ、す、すいま…せ……!?」
…時に皆は運命の出会いというものを信じるだろうか?
運命の出会いなんてお伽話じゃあるまいし、なんて思う人もいるだろう。
実際、僕がそうだった。
会社では先輩のパシリ、上司の尻に敷かれる日々…
運命の出会い、ましてや結婚なんて夢のまた夢と思っていた。
ついさっきまでは。
今、僕はまさに運命の出会いとやらを経験している。
白く艷やかな髪、程よく熟れた林檎のような丸くて紅い瞳…まるで絵本に出てくるプリンセスのような美しい女性が僕の目の前にいる。
…手にしていたカフェオレが彼女のワンピースに溢れている事に気付いたのは今だけども。
「あ、す…すいません…ワンピース、汚してしまって…。僕、弁償するんで…。」
彼女のワンピースにシミが付く前にカフェオレを拭き取ろうとハンカチを取り出そうとすると、彼女の滑らかな手が僕の手に重なる。
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
「あ、あの!」
「はい?」
…しまった、怒らせてしまったか?
せっかくのお気に入りの服がカフェオレまみれになったじゃない!とビンタでもされてしまうのだろうか。
これでは運命の出会いどころの騒ぎではない。
弁償という名目で闇金の契約をせがまれたらどうしよう。
…さようなら、僕の初めての恋…とすぐそこに迫っているであろう良くない事態をどうしようかと考えていると、彼女の言葉は予想外の物だった。
「弁償はしなくて大丈夫だから!!また…また私と会ってほしいの…。」
「…え?」
また間抜けな声が出てしまった、
「あ、やっぱりダメよね…。」
予想外の事態に頭が回らなくなり、勢いで返事をしてしまった。
「い、い、い、良いですよ…あ、あ、明日のお昼でまたこ、こ、ここで会いませんか…。」
吃っている上にしどろもどろな返事だが 彼女は ぱぁ、と嬉しそうに笑ってくれた。
「!いいの!?ありがとう!」
…そういえば、今 何時だ?
慌てて腕時計を見ると時刻は12時50分。
まずい、もうすぐお昼休みが終わってしまう。
ちょっとでも戻るのが遅くなったら先輩の機嫌があからさまに悪くなるかもしれない。
それはいけない、すぐ戻らないと。
「じゃ、じゃあ僕、仕事に戻らなくちゃなので…じゃ、また明日〜…」
彼女の見送りの言葉も聞かず慌てて店を出てすぐの路地裏に駆け込む。
ドッ、ドッ…と心臓がこれ以上ないほどに高鳴る。
顔なんて、彼女の瞳のように真っ赤だろう。
だって…だって仕方ないじゃないか。
「あー…やっば…めっちゃ吃った…。あ、しまった…彼女の名前を聞いてないじゃないか…僕のバカ野郎…!」
アーテル・オーディナリ
僕は産まれて初めて恋をした。
…ちなみに路地裏で火照りが冷めるまで時間を潰していたら案の定お昼休みは終わっており、大慌てて会社に戻ると先輩にものすごい剣幕で怒鳴られたのは言うまでもなく。
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あの日を出来事をきっかけに彼女と関わりを持ち、平日のお昼は例の店で待ち合わせ 一緒に昼食を取るのが日課となっていった。
それにしてもビアンカ・フィリサティと名前を聞いたときは正直驚いた。
何を隠そう、フィリサティと言えばここら辺では名の知れた大富豪だから。
そんな大富豪のお嬢様が何故こんなチェーン店で食事をしているのだろう、お嬢様なら家に料理人くらい雇っていてもおかしくはないし、外食にしても五つ星レストラン辺りに行きそうなんだけどな…という疑問は置いといて。
それにしても、今日のビアンカはなんだか暗いな。
体調でも優れないのだろうか?
少し話を聞いてみようか。
「ビアンカ…あ、あの…顔色が優れないけど体調でも悪い?」
びくっ、とビアンカが肩を震わすとこれ以上は隠しても意味がないと悟ったのかぽつぽつと話を始めた。
「…実は…」
終始暗かった理由は驚きのもので思わず口からカフェオレを吹き出す。
「え!?僕と会うのをやめてほしいと親族に怒られた!?それで大喧嘩の末に家出をした!?」
実の娘が親と揉めた末に家出をしたとなれば大騒ぎになるだろう。
何とか家に帰さなれけばまずいのでは…と彼女を家に返すのはどの言葉が良いのだろうと考えていると、ビアンカは話の続きを始める。
「そうなの…隠すつもりはなかったんだけど私、幼い頃に親に決められた婚約者がいるの。」
…え?こ…
「婚約者…?」
…そうだ、大富豪のお嬢様となれば当然跡継ぎ問題が発生する。
婚約者がいてもおかしくない。
彼女に一目惚れした自分がバカだったかもしれない、所詮は叶わぬ恋だった…なんて悪い方向にまた考え始めている。
…僕達はもう会うのはこれっきりにしよう、それがお互いの為だろう…と言葉にする寸前、彼女が小さな手で僕の口を塞いできた。
「…ごめんなさい…婚約者がいる身分でこんな事言うのはおかしいと分かっているの。でもね…」
震える唇を噛み締めながら、彼女は驚きの一言を口にする。
「あの日、あの時ぶつかってしまった貴方に惚れてしまった。所謂一目惚れってものよ。」
思わず間抜けな声が出た。
「…え?」
…あ、もしかして僕達って互いに一目惚れだったって事か!?
美女が凡人に一目惚れってそんな漫画みたいな非現実的な出来事って実際にあるんだ!?
自分で言うのもなんだが、僕は髪は大体ボサボサだし服装も対して良くはない、顔は凡顔だし背は小さい方だと自負しているし、すぐネガティブに考えたりする辺りあんまり思考も性格も良い方とは言えない気が…うぅ、こうやって自分の欠点を1つずつ上げていくと悲しくなってくるな…。
え?僕は夢でも見ている?そうだ、これは夢か、早く起きないと!と思い頬を思い切り抓っても頬の痛みはそれが現実であることを教えている。
隣でビアンカが泣きそうな顔をしながら話をしている景色は変わらない。
「ごめんなさい…ごめんなさい…でも、私…」
何を言い出すのかと思うと突然、彼女に抱き締められた。
「え、ぁ、ちょ…!?」
あまりの出来事に脳の処理が追い付かず、動揺していると紅い瞳からボロボロと大粒の涙を零す。
「私、家族と縁を切ってもいい!貧乏暮らしをしても良い!婚約破棄しても良い!家の評判が地に落ちても娘として責任はちゃんと取る!だから貴方と駆け落ちするわ!」
泣きながら突然の告白するビアンカと呆然とする僕を見て何の騒ぎだ、と店員やお客さんが僕達を凝視し始める。
…まずい、場所を移さないといずれ騒ぎになる。
「ぁ、あぁ〜〜…うん…ちょっと店を離れようか…き、気まずい…。」
基本仕事はデスクワーク故、彼女を抱き抱えて走る力もなく男が廃っていて頭を抱えたくなるが、彼女の両脇に手に入れてズルズルと店を出て、路地裏まで引き摺っていく。
キョロキョロと辺りを見ても、こちらに視線を向ける人はいない。
大丈夫、バレていないはず。
「ここに隠れれば多分、だ、大丈夫だろうな…。」
ビアンカを落ち着かせるさせる為に、声に出してみるがビアンカは自分の胸元に顔を埋めたままだ。
そのまま彼女は僕に話しかけてくる。
「アーテル…さっきの返事は…?」
そうだ、肝心の返事だ。
…落ち着け、よく考えろ、僕。
相手は大富豪のお嬢様。
僕は何の特徴もない一般人。
相手には幼少期から結婚の約束をしている人もいる。
彼女が僕と交際すると言う事は婚約者は愚か、家族でさえも裏切ると言う事になるんだ。
周りは僕の事を泥棒猫だの浮気相手だの叩くだろう。
婚約者がいる身分で僕という別に好きな人が出来てしまったビアンカもただじゃ済まないだろう。
それは僕でも分かっているんだ、彼女と結ばれるとどういう事になるのかくらいは。
…でも、彼女が家を裏切る覚悟をして僕に好意を向けてくれているんだぞ?
僕も彼女を生涯愛する覚悟をしないといけないじゃないか?
僕も男だ、彼女を生涯かけて愛する覚悟は出来ている。
よし、大丈夫、大丈夫だ。
ようやくはっきりとした結論を出せた僕は、深呼吸してビアンカに視線を移す。
「…あー…さっきの返事だよね…うん…。」
ビアンカは依然俯いたままだ。
「あ、のさ…」
僕は彼女に抱き締められるのをそのままに、意を決して先程の店で話していたあの言葉の返事をする。
「…本当に良いんだよね?その…駆け落ち、するって…意味で。」
彼女は首を縦に振る。
「…僕も君が好きだよ。君と同じ一目惚れってやつ…だね。うん…。…ビアンカ、こんな僕で良いなら、この先決して楽な道は通れなくても良いなら、僕と結婚を前提に付き合ってくれますか…?」
その言葉を聞いた途端 ワッ、と彼女は号泣した。
彼女の泣き声が路地裏に響き、何事かとゾロゾロと路地裏を覗き込む人が出てきた。
あれ、ひょっとしてこれ、さっきと同じじゃないか!?!
まずい、非常にまずい…!!
僕は彼女の手を取り、人混みを掻い潜りその場を後にした。
会社は早退したよ…はは、これから会社へなんて言い訳するか考えないといけないな。
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それからは毎日が大変だった。
家出状態のビアンカをそのまま外に放り出す訳にも行かず、数日僕の家に匿っていたんだけど、どこから特定してきたのかビアンカのお父さんとお母さん、そしてビアンカの婚約者のサラールさんが家に乗り込んで大騒ぎだったんだ。
サラールさんと言えば、ここら辺じゃ有名な薔薇農家、デスグラシア家の一人息子だ。
そんな彼が彼女と婚約関係にあると聞いた時、僕はとんでもない人を敵に回したと頭を抱えた。
後で聞いた話なんだけど、お嬢様である彼女が何故チェーン店で食事をしていたのかと言うとどうもお抱えの料理人が作ってくれる食事や高級レストランで食べる料理が何だかワンパターンで飽きてしまったらしく、両親の目を盗んで昼食だけチェーン店で食べていたらしい、何とも彼女らしいと言うか…。
嫌がるビアンカを無理矢理家に連れて行こうとする彼女の両親に、僕は必死に抵抗し、彼女との交際を認めてもらうべく抗議した。
勿論、サラールさんとビアンカのお父さんには自分が何言ってるのか分かっているのか、と蹴られるしぶん殴られるしの喧嘩沙汰になったけど…。
多額の慰謝料を請求するから覚悟しろ、と脅された時は正直肝が冷えたけど、ビアンカがそんな事をするなら二度と家に帰らない、縁を切るの一点張りだった。
そんな感じの揉め事が約半年も続き、僕達の意志が相当強い事を悟り諦めたのか、彼女の両親はビアンカが駆け落ちしようと家を出た事も許し、僕との交際もようやく認めてくれ、サラールさんとビアンカの婚約は破棄という形になり、事実上の和解になった。
ただし条件付きだけどね、籍を入れる時は僕が彼女に婿入り、つまりアーテル・フィリサティになるという条件。
勿論条件を飲んだ、婿入りっていうのも中々悪くないしね。
ちなみにサラールさんは最後まで僕の事を認めず自分とビアンカが結婚するんだと聞かなかった。
無理もないか、彼には申し訳ない事をしてしまった。
あぁ、そう…会社についてなんだけど…フィリサティ家とデスグラシア家、両家と揉め事を起こした事がサラールさんが僕の会社に怒鳴り込みに行った事でバレてしまい、会社は勿論クビになってしまった…はは、そうだよな、置いておける訳がない…トホホ、色々と落ち着いたらフリーランスで仕事をしようかな。
え?今は何をしているのかって?
実は交際して1年とちょっとくらいかな、幸い会社勤めの時の貯蓄があったから貯金を下ろして指輪を買って、彼女にプロポーズしたんだ。
結果は勿論オッケーだった。
結婚式は3日後、ジオンモナンにある式場で行われる。
僕はその結婚式で使うあるものを作っている最中だったんだ。
何を作るのかというと、ダーズンローズと言う薔薇の花束だ。
ダーズンローズって言うのは新郎から新婦に向けて12本のバラを渡し、ゲストの前で永遠の愛を誓うセレモニーの事。
ここジオンモナンの結婚式ではダーズンローズセレモニーは結婚式のプランに当たり前のように組み込まれている。
式場に頼めば花束を暢達してくれるんだけど僕はそれを断って、自分の手でダーズンローズを作っているんだ。
実はビアンカとまだ交際する前に恐らくサラールさん伝いで覚えたであろう薔薇の話を聞いている内に興味が湧いて、何だか僕も薔薇を育てたくなってね。
彼女に相談したら、じゃあ一緒に育てようと薔薇の苗木を一緒に買って、家の庭に植えて一緒に育てていたんだ。
奮発して12種類も苗木を買っちゃったんだけどね、初心者がいきなり薔薇の苗木を沢山買うものだからちゃんと育つのか不安だったけど、僕達が愛情を込めて丁寧に育てていく内に、どれも枯れることなく綺麗に咲いてくれたんだ。
ここまで言えば分かるだろう、そう、僕はビアンカと一緒に育てた薔薇をダーズンローズにするべく今、こうして庭に足を運んでいるのだ。
薔薇の状態は…うん、どれもとっても綺麗だ、これなら大丈夫そうだ。
よし、それじゃあ、1本ずつ摘んでいこう。
燃えるような赤色の薔薇、空のように澄んだ青色の薔薇、瑞々しい若葉のような緑色の薔薇、重厚だがどこかほの明るい茶色の薔薇、夕日のように穏やかな橙色の薔薇、艷やかな鴉のような黒色の薔薇、光のようにどこまでも白色の薔薇、夜明けのような紫色の薔薇、春のように穏やかな桃色の薔薇、太陽のように輝く黄色の薔薇、キラキラと煌めく金色の薔薇、様々な色が織り成す虹色の薔薇…
願いを込めて、僕は育てている薔薇を1本、1本摘んでいった。
そして12本の薔薇をまとめて、下の方をくるくると輪ゴムで止める。
よし、とりあえず仮だけど完成かな。
ラッピングは明日に回そう、今日は疲れてしまった。
…ふふ、一から頑張って作ったんだ。
「…喜んでくれるといいなぁ。」
こうして僕は、沢山の願いを込めた12本の薔薇の束を抱えるとビアンカの待つ家に戻っていった。
…勿論、彼女にバレないようにコソコソとね。
「…そういえば、サラールさんが"永遠の愛と幸せが掴めるスポットがある"とか言ってたな。…結婚式が終わったら、ビアンカと一緒にサラールさんの所に行ってみようかな。…そういえば置き手紙を残していってほしいとも言ってたな。確かに数日留守にするからな、ビアンカと相談して書こう。」
ダーズンローズが産まれた日 完